私たちはついつい人の努力を軽視しがちで、才能ばかりに目を向けてしまいます。
他人であればそれでも良いかもしれませんが、自分の子供となると話は別です。
親の役目は適切な形で、子どもの努力を褒めてあげることではないかなぁと私は思っています。
ということで、今回の記事では『才能を評価してしまうことの悪影響』について書いていきます。
今回の記事もアンジェラ・ダックワースさんの著書『GRIT やり抜く力』を参考にしています。
前回の記事では『GRIT(グリット)とは何か?』について書いてきました。
合わせて参考にしてみてください⇨GRITとは何か?
努力が大切だと分かっているのだけど
成功するためには、才能と努力はどちらが大切でしょうか?
私は「努力」だと思うのですが、皆さんはどうでしょうか?
アメリカ人の場合、「努力」と答える人は「才能」と答える人のおよそ2倍になります。
では次の質問です。
新しい従業員を雇う場合、知的能力が高いのと、勤勉であるのでは、どちらの方が重要でしょうか?
私は「勤勉であること」だと思いますが、皆さんはどうでしょうか?
これまたアメリカ人では「勤勉であること」と答える人は、「知的能力が高いこと」と答える人のおよそ5倍になるそうです。
つまり、私たちは頭の中で
- 努力できること
- 勤勉であること
の方が、生まれ持ったモノより大切だと感じています。
自動的に生まれるバイアス
「才能より努力の方が大切だ!」
私たちはなんとなくそれを分かっています。
でもこの話を読めば、また考えは変わってくるかもしれません。
とあるピアニストの録音した曲を、プロの音楽家たちに聞かせ、どちらが音楽家として成功するかを問いました。
ピアニストは同一人物なのですが、紹介の仕方が違います。
- 幼少期より天賦の才を示した
- 幼少期から誰よりも熱心に練習した
すると、音楽家たちは1.の天賦の才があるピアニストの方が、プロ演奏家として成功する確率が高いと評したのです。
全くの同一人物の演奏でも、紹介の仕方によって評価は変わってしまうのです。
しかも面白いことに、努力より才能を評価するんですね。
先ほどの質問とは逆の答えになっています。
この本では、他の例も紹介しています。
ピアニストと同じような条件で、起業家たちを集めて、どちらの起業家が成功するか?を問いました。
- 天才タイプの起業家
- 努力家タイプの起業家
やはりこの結果でも、天才タイプの起業家と紹介された方が、「成功する確率が高い」と起業家たちからは評価されたのです。
才能を求めすぎた企業
アメリカにエンロンという企業がありました。
この企業はフォーチュン誌のアメリカで最も革新的な企業に6年連続で選ばれるほどのすごい企業でした。
この企業の評価制度は『優秀であること』で、能力の高い人はどんどん評価し、能力の低い人はクビにするというものです。
これだけ聞くと「優秀な人材だけが生き残るから、すっごい企業になりそう!」と思いそうですよね。
しかし、エンロンは巨額の不正な経理・取引による粉飾決算が明るみに出て、2001年に破綻しました。
「一体なぜ?」と思われるでしょうが、もし自分がエンロン社員だったら・・・と考えて見てください。
優秀さをアピールできなければ、クビになってしまうのです。
だからズルをしてでも評価を上げようとしたり、自分の優秀さのみをアピールするような社員ばかりになってしまったのです。
ちなみに、優秀な社員を求めるグローバル企業である『グーグル』の最終試験ってどんなのか知っていますか?(今は違うかもしれないけど)
エアポートテストといって、飛行機が飛ばなくなって、一晩この人と空港で過ごすことになったけど、大丈夫?と、人柄を重視するテストになっています。
どれだけ優秀でも、空港で一晩も過ごせないような人とは一緒に働けないってことですね。
才能より努力を評価するべき
4年に1度のオリンピックなどを見ると「あの選手すごいな〜。あんなすごいプレーをするんだから、やっぱり才能に恵まれてるんだろうな」と思ってしまいます。
しかし、彼らの毎日の練習を見ている人はどれだけいるのでしょうか?
そこには単純に『才能』で片付けることのできない『努力』があるのです。
才能で片付けたい理由
この本にはこんなニーチェの言葉が紹介されていました。
「芸術家の素晴らしい作品を見ても、それがどれほどの努力と鍛錬に裏打ちされているかを見抜ける人はいない。その方がむしろ好都合と言っていい。気の遠くなるような努力の賜物だと知ったら、感動が薄れるかもしれないから。」
まさにこの言葉の通りでしょう。
私たちは『才能』という言葉で片付けることで、「自分には才能がないから努力しないでいいんだ」と決めつけてしまっているのです。
その方が楽ですもんね。
しかし、なんでもかんでも『才能』で片付けてしまうと「才能がないから頑張っても意味がない」という思考に陥ってしまいます。
それではダメですよね。
子供を持つ親ならば、スポーツ選手のすごいプレーを見たり、ノーベル賞受賞者のニュースを見たときなどに、子どもの前で「あの人は才能がある!」と頻繁にいうのは得策ではないということはお分かりですよね?
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回の記事では『才能を評価することの悪影響』について書いてきました。
子どもの前で『才能』という言葉を頻繁に使っていないでしょうか?
言葉は世界を分ける力があります。
例えば、A君とB君がいたとして、A君にだけに「君は賢いね」と言えば、B君は「私って賢くないんだ」と思ってしまいます。
これと同じようにテレビに映っているアスリートに向かって「あの選手は才能があるな」という言葉を使えば、自分には才能がないと言っているようなものであり、一緒に見ている子どもにもそれを伝えているようなものです。
だから子供がいる前では、『才能』という言葉を使わずに「あの選手はすごい努力をしたからここまでのプレーができるんだな」と、言うべきではないでしょうか?
知らず知らずのうちに子供は親の言動を真似てしまいます。
なんでもかんでも『才能』で片付けるような成長を遂げて欲しくはないですよね?
才能より努力の方が大切だということを教えるのは、重要な教育だと思います。
もちろん才能が悪いと言っているわけではありません。
才能があるならば、その才能が伸びるような環境を与えることは大切です。
しかし、何でもかんでも『才能がある』という思考は気をつけなければならないということです。
今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
子どもの褒め方について『才能を褒めるのか?努力を褒めるのか?』についての記事も参考にしてみてください⇨子供は褒めて育てるべき?
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