子供のいじめによる自殺が後を絶ちません。
しかも教師がそのいじめに気づいていたとしても、なんの手立てを打つことなく放っておくという残酷な事実もありました。
教師、教頭・校長、教育委員会は一体何をしてるんだ?と思いたくなるような管理体制だなぁと思うわけです。
ということで今回は子供のいじめの話について書いてきます。
なぜいじめによる子供の自殺を防げないのか?
私は現実主義者の一面があり、そもそも『いじめ』はなくならないと思います。
人間が生物である以上、常に何かと競争に晒されるわけです。
競争、つまりは比較してしまう以上、いじめはなくならないと思っているんですね。
また、いじめは学生だけでなく、大人になってからでも会社内で、主婦内で、なんなら教師の間でさえいじめ問題はあります。
だからいじめは子供特有のものではないのです。
しかし、いじめを防ぐことはできなくても『いじめによる自殺』は防ぐことができ、防がなくてはならないことだと思います。
多くの方もそう思っているはずです。
だけれども、いじめによる自殺は無くなりません。
いじめについて教師が気づかないこともあれば、気づいていても防げない場合もあります。
そして、いじめられている子の親でさえも気づかないこともあれば、気づいても防げれない場合もあるのです。
教師の評価主義による弊害
学校の教師が子供の面倒ばかりを見ているかといえば、そんなことありません。
多くの教師は事務作業に追われており、子供たちとは関わらない文章の作成などに追われているのです。
教師の多忙さはこの辺からきているのですね。
授業をよりよくするために時間を当てるより・生徒の進路指導に時間当てるよりは、報告書の作成に時間をかけているのです。
さて、教師は一体何で評価されているでしょうか?
授業のうまさでしょうか?生徒とのコミュニケーションの取り方でしょうか?
実を言うと、それは評価されていません。
というのも、教師が授業している姿や生徒の関わり方など、他の教師や校長から見られていませんよね?
だから、教師が評価されるポイントと言えば、報告書などの事務作業になるのです。
そして、いじめなどのトラブルなどがクラスで起こると、担任の教師が責任が問われていきます。
そうなると教師としては「いじめを隠したくなる」のではないでしょうか?
誰かに相談すると「こいつ、自分で解決する能力もないのか」と、他の教師や評価を下す管理職にそう思われてしまうのは怖いですよね。
これが教育委員会に知られると、評定が決まってしまい給料などの待遇にも反映されます。
教師の評価のされ方は、目標管理型評価になっていて、まず自己申告シートに目標を書き込みます。
教頭が第一次評価を行い、次に中間評価として学年主任から聞き取りを行い、その内容によって評価に反映されます。
そしてその次に校長が第二次評価を行い、その目標シートが教育委員会に送られて、教育委員会の指導主事が相対評価によって最終的な評価を行います。(2003年ごろから学校現場にも目標管理型の評価が導入された。)
このような評価体制なので、問題を抱えてしまった教師が学年主任に相談しにくいのが原因となっています。
以前であれば、学年主任に相談できた内容も、評価が気になってしまい自分で解決しようとして、他の教師が気付いた時には手遅れなケースがあるようです。
教育委員会の顔色を伺う校長
校長の立場としても、教育委員会からの自分の評価が気になるので、学校ぐるみでの隠蔽体質にも繋がるようです。
「校長、しっかりしろよ!」
と思うかもしれませんが、校長の立場になってみるとよくわかると思います。
必死に上り詰めた校長という席、定年までのらりくらりと座っていたいじゃないですか?
保護者から「あの校長の学校っていじめがったらしいよ!ほんとしっかりしてほしいわ」なんて思われたくないですよね。
校長くらいの年齢になると、その噂が残りの人生で一生つきまとう可能性だってあるくらいですから・・・隠したくなる気持ちもわかります。
教師が関われないいじめ
LINEなどのいじめが深刻化しています。
これは学校にいる時間外のことなので、これに関しては教師はどうしようもありませんし、これは生徒のプライベートなことです。
ラインの着信があればすぐに返信しないと、グループから外されるし・・・そんなことにも気を使わないといけないそうです。
これはSNSを運営している会社が未成年には規制していかなければならないことだと思います。
でもラインはスタンプなど若い子をターゲットに収益を得ているので、やらないでしょうがね(´・ω・)
世界のSNSの顔であるFacebookは規制をしています。
12歳未満は登録できなく、13歳以上〜18歳未満は登録・利用はできますが、公開範囲などの制限があり、18歳以上から制限なく利用できます。
Facebookに見習ってLINEもやってほしいものですね・・・。
そしてこの辺りは親の責任も関与すべきところです。
子供のいじめについて、何でもかんでも学校側の責任にすることはできません。
教育委員会って必要?
これはまだ私がハッキリとわかってないことなのですが、教育委員会ってなんのために必要なのでしょうか?
文部科学省の意向を学校側に伝えるための中間業者的なイメージで、文部科学省にいい顔を見せたいから「うちではいろんな教育にまつわることをやってます!」と、その業務を学校現場の教師たちに押し付けて、教師の激務さが増してるんだなぁと思っています。
実際に教師の人たちと話してみても、教育委員会は無駄な業務ばかりを増やしてくるから困っていると聞いたことがあります。
そもそも教育委員会は1948年に発足された期間で、住民の直接選挙によって委員が選出されていました。
直接選挙ということなので、住民が誰を選ぶかを決めらたのですね。
しかし、2000年の中野区の準公選制を最後に、首長の任命により議会が承認するという間接的な体制に変わりました。
今では「教育委員会の人って誰がやってるの?」と、一般人には知られない存在とななってしまいました。
まあ見ていて下さい。この体罰問題。組織的には誰も責任をとりませんから。これが責任者が誰だか分からない教育委員会制度。教育の政治的中立性の結果、このような組織になってしまった。政治力を徹底排除した結果、現場の治外法権。無責任体質。政治が関与することのデメリットばかり叫ばれた結果です
— 橋下徹 (@hashimoto_lo) 2013年4月27日
橋下さんがいうように、なんの責任も取らないし、そもそも責任者がいない組織に一体何ができるのかなぁと私は思っています。
民間企業であれば、こんなことほとんどないよね。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回の記事では『いじめ問題』について書いてきました。
いじめ問題については、奥が深すぎて簡単には結論を出すことができません。
教師の評価制度も問題ですが、やはり一番は保護者が関わってくるのではないかなと思っています。
- 自分の子供がいじめられる可能性がある
- 自分の子供が他の子をいじめる可能性がある
という2つの可能性において、念頭に置いておかなくてはなりません。
そして、子供がいじめられている可能性を見つけたのであれば「学校に行かなくてもいいんだよ」とか、「どこか転校してもいいよ」など、新しい選択肢を用意してあげることが大切かと。
いじめられてる子供が、どうこうして簡単にはいじめは解決されません。
担任の教師が協力的であれば、プラスになることも考えられますが、事件にあったように見て見ぬ振りをするダメ教師もいます。
ですから、ここは保護者がしっかりするしかないのかなぁと・・・(´・ω・)
子供にとっては家の次に学校が居場所となるところです。
しかし、他にも居場所はあるという選択肢を提供させることで、子供の心にも余裕が出て、自殺まではしなくなるのではないでしょうか。
今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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