子どもの貧困を放置するとどうなるかご存知でしょうか?
「その子どもが高い学歴を持たないだけじゃないの?」と思われるかもしれませんが、実を言うとそれだけではありません。2016年09月26日のTHE HUFFINGTON POSTより『子どもの貧困の放置で生まれる社会的損失は40兆円「投資の視点」で対策を』という記事があげられていました。
今回の記事では私の意見を交えながら『子どもの貧困について』を考えていきたいと思います。
*子どもの貧困は本当に問題で、私たち一人一人が意識していかなければなりません。十数年後の良い未来を作れるのは今を生きる私たちだけです。
子どもの貧困放置から生まれる将来的な社会コスト
子どもの貧困を放置すると、その子どもだけが損をして貧困環境にはない子どもには無関係そうに見えますが、無関係ではありません。
所得や経済規模が縮小すれば、社会としては税収や年金等の社会保険料収入が減少してしまう。加えて、そうした人たちが職を失ってしまえば、生活保護や失業給付、職業訓練といった形で支出が増えることにもなってしまう。
つまり、子どもの貧困を放置してしまうと、社会の支え手が減ると同時に、社会に支えられる人が増えてしまうため、めぐりめぐってそのコストを社会全体で負担しなければならない。
『教育機会を均等に与えるコスト<今後のコスト』になるのは予想ができていて、子どもの貧困を放置すると、その社会的損失は40兆円に達すると見込まれてます。
教育コストとは勉強だけではない
教育コストというのは何も勉強だけではありません。
子どもの頃に健康的な食事を与えず、お菓子とか加工食品ばかりを与えると『健康格差』が生まれます。すなわち、大人になってから生活習慣病などにかかりやすくなり、結果として医療費増の要因となります。
食事というものは習慣になります。子どもの頃の食事習慣は大人になったからといって簡単には変えることはできません。
子どもの貧困を放置すれば、その社会的損失をゆくゆくは社会全体で負担していかねばならないこと、つまり税負担の増加や公共サービスの縮小となることが避けられない。子どもの貧困は他人事として放置してはならない「自分事(ジブンゴト)」なのである。
教育格差が周りの子どもに与える影響
『貧困で勉強できない&大学にいけない』という子どもが増えれば増えるほど、大学受験というものが簡単になっていきます。そうなるとどんどん大学のレベルが下がっていきます。
大学のレベルが下がるということは、科学技術力の発展が見込まれないので、すなわち国力の低下を意味します。教育的貧困を放置することはそれほど怖いことなのです。
それに子どもは互いに切磋琢磨して成長するものです。恵まれた子どもにとって、運動や勉強のライバルが減るということは、成長の機会損失になります。
2つの貧困状態
貧困には2つの種類があります。
- 絶対的貧困(最低限の生活をも営むことができない状態)
- 相対的貧困(年間の可処分所得が中央値の半分を下回っている状態)
さすがに今の日本で絶対的貧困のケースはほぼないですが、相対的貧困は年々増加しています。(しかし、たまに餓死者のニュースがあります)
日本の子どもの6人に1人が『相対的貧困』
世帯所得の中央値が約427万円なので、その半分の約214万円以下を下回る世帯が『相対的貧困』と定義されます。
どのくらいの子どもがこれに該当するかというと、日本の子どもの約16%、つまり6人に1人は『相対的貧困状態』にあるのです。(通常、『貧困』という言葉は相対的貧困を意味します)
一人親世帯だと5割が貧困状態にあるという驚きの数字も出ています。
中学卒の40歳の男性は4人に1人しか働けていない
2016年11月11日の日経ビジネスオンラインでも、教育的貧困が生み出す現実が記事にされていましたので、引用したいと思います。
この本の2章で学歴別の40歳時点の就業率という調査結果を紹介しているのですが、男性の中学卒だと就業率は76.6%です。40歳で4人に1人が働けていないのです。これは驚きの数字でしたね。高校卒だと89.9%なので、中卒と高卒の差が極めて大きい。とくに、高校を中退した結果、中卒となるケースが非常に多いのです。
中学卒と高校卒では10%以上の就業率の差があります。
逆に言えば教育機会を与えることで、高校卒業者を増やすことができれば、就業率を上げることができそうです。(就業率を高くしないと生活保護者が増えるので、社会保障が増大する)
ちなみに中学卒がダメとは言ってません。データ的にはこうなってますよということをお伝えしたまでです。しかし、ある程度の学歴があった方が人生が良くなる確率が高いということは知っておく必要があります。
貧困と自己責任論
続いて、貧困と自己責任論について書いていきます。
個人の努力で貧困は抜け出せない
貧困の話をすると、「努力をしなかったのが悪い!」と自己責任論の話が必ず出ます。確かにそれもあります。
しかし、それでバッサリ切り捨ててしまうのは『想像力の欠如』としか言いようがありません。貧困家庭は金銭的な問題だけでなく、虐待などの家庭環境の問題が複雑に絡んできます。
また、努力を認めてくれる環境が整っていなければ、子どもは勉強する気になるでしょうか?
それに、『勉強するのはカッコ悪い』という認識がある環境で育つと、そもそも勉強をするでしょうか?
一流大学の人は『勉強するのが当たり前』という環境で育ってきたかもしれませんが、それが当たり前でない環境で育つ人もいるということを考えなくてはなりません。
日本の貧困に対する意識
さてさて、貧困問題について世界各国で意識調査が行われました。日本と世界の貧困に対する意識の違いを見てみましょう。
こちらの本を参考にしています。
世界各国でおこなわれた貧困問題への意識調査で興味深いデータがある(The Pew Global Attitudes Project、2007年)。「自力で生きていけないようなとても貧しい人たちの面倒をみるのは、国や政府の責任である。この考えについてどう思うか?という問いに対し、「そう思わない」と答えた人は、中国ではわずか9%、イギリスでは8%、ドイツでは7%の人だけだった。
つまり、これらの国々ではほとんどの人が、貧しい人の支援を政府が行うべき、と考えていることが分かる。しかし、日本では「そう思わない」と答えた人が38%。諸外国の5倍近く。アメリカですら28%だというのに。p7
日本人に対する印象は変わらないでしょうか?
テレビを見れば、日本人の魅力や日本の素晴らしさについて放送しているテレビ番組がたくさんあります。良いところばかりを取り上げることは“洗脳”に近いんじゃないのかな?と私は思っていたりします。
この数字を見ると、意識は少しは変わったのではないでしょうか?私たちが意識することなく抱いている、“あまりに強すぎる自己責任論”は、世界と比べると“普通ではない”ということを認識しなくてはいけません。
自己責任論は、貧困だけにあてはまるものではありません。『健康』についてもそうです。
「あの人が病気になるのは当たり前だ」
果たしてそうなのでしょうか?テレビを見れば、「これ買え!これ買え!これはうまいぞ!美味しいぞ!」と毎日のように流れています。
医療費が増えすぎて借金地獄に陥っている日本。「自己責任でしょ」で片付けていい問題なのでしょうか?
おわりに:早期教育を導入せよ!
今回の記事では『子どもの貧困について』について簡単にですが書いてきました。子どもの貧困を放っておくと、その個人だけでなく自分にもマイナスの影響が出てきます(増税など)
では今回の記事をまとめます。
- 子どもの貧困を放置すると、その社会的損失は40兆円に達する
- 子どもの6人に1人が相対的貧困
- 214万円以下を下回る世帯が『相対的貧困』と定義される
- 中学卒と高校卒では10%以上の就業率の差がある
- 個人の努力で貧困の連鎖から抜け出すのは難しい
- 勉強するのが当たり前でない環境で育つ子どももいる
では、これらの問題についてどうしていけばいいのでしょうか?1つの案が早期教育になります。なぜ早期教育かというと費用対効果が高いからです。言い換えれば、その子だけでなくて社会に対しても大きなメリットがあるのです。
先にも書いた通り、十分な教育を受けなかった子供達は、将来犯罪をする可能性が高くなり、生活保護を受ける可能性が高くなり、社会に対してマイナスをもたらす可能性が高くなります。
そこで、早期教育を十分に施すことで、社会に対して大きなメリットがあると考えられています。その投資対効果は13倍というデータもあります。(納税額の増加や犯罪コストの低下などから算出)
集めた税金をどこに使うべきなのか?データをもとに十分に検証していかなくてはならないでしょう。それでは!
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