大学なんか行っても意味はない?教育反対の経済学【読書メモ】

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ブライアン・カプランさんの『大学なんか行っても意味はない?教育反対の経済学』という本を読んだので、興味深かったところをメモします。

内容紹介(アマゾンより引用)↓

人気ブロガー経済学者が、経済学の概念「シグナリング」をキーワードに、現在の教育システムが抱える問題点を実証データで分析する。なぜ学生は楽勝授業を探し、試験が終われば学んだことを平気で忘れてしまうのか? なぜ過去数十年で教育が普及したのに、平均的な労働者が良い仕事に就けず、学歴インフレが起きているのか? なぜ企業は、ほとんど使うあてのない学校教育を受けた労働者に給料を支払うのか? なぜ社会では、学校を卒業することが最大の協調性のシグナルになるのか?その答えのカギはすべて、「教育の最大の役割は学生のスキルを伸ばすことではなく、知力、協調性、仕事への姿勢についてのお墨付きを与えることにある」というシグナリングの考え方にある。本書が示す問題解決への道筋は、高等教育縮小と職業教育拡充だ。最新の社会科学による、教育への根源的かつ挑発的な問いかけ。

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ほとんどの人にとって大学で学ぶ内容は今後一生使わない

著者はあることを言い切ってくれます。高校生には分からないかもしれませんが、大学を卒業して社会人として数年働いている人であれば痛感していることです。

「大学で学んだ内容は、今後一生使わない」

ということです。

ほとんどの人は、一生使わない知識を得るために、4年間という時間と学費を払うのです。(個人の出費だけでなく、税金もたんまりと投入されています)

『大卒』という資格をもらうために大学に行く

なんのために大学に進学するのでしょうか?

教育者の模範的な回答としては、「大学のハイレベルな教育によって知識やスキルを高め、社会的に価値ある人間になるために大学に進学するべきなのだ!」というようなことを言うでしょう。

でも実際は違います。大学で学んだ知識やスキルは、大学卒業後はほとんどの人は使いません。

ではなんのために大学に進学するのでしょうか?

それは『〇〇大学の卒業証書』を得るためです。大卒という資格を得るためだけに、4年間という時間と学費などを払うわけです。

なぜか?

高卒より、大卒のほうが生涯賃金が多いからです。

なぜ高卒より大卒の方が生涯賃金が多いのでしょうか?

『大卒』という資格が多くのシグナルを発しており、雇用者はそのシグナルを見て人を選ぶからです。

  • 無意味な勉強を続けられる(ということは無意味な仕事でもやれそう)
  • ある程度の教育水準があるので読み書きができる
  • 大学に進学したということは、親がある程度の経済力があるマトモな人だろうから、きっと育てられたこいつもマトモ

などなど、『大卒』という肩書きは、雇用者に多くの情報を与えます。ほとんどの人にとって大学を卒業する意味は、『大卒』というシグナルを発するためです。

これに反発したくなる気持ちは分かります。でも事実なのですね。

ちょっとした思考実験をしてみましょう。大学の卒業証書をもらったA君と、大学の卒業証書をもらう前日に大学を退学したB君とで考えてみましょう。取得した単位は全く同じで、成績も全く同じとします。

であるならば、大学で身につけた知識は同じです。違いは卒業証書があるかないかだけ。さて、A君とB君はどちらが生涯賃金が高くなりそうでしょうか?

大卒の資格があるA君ですよね。B君は大卒資格が必要な会社には就職できませんから…。同じ知識があろうとも、書類選考の段階でB君ははじかれてしまいます。大卒という資格がなければ門前払いされてしまうのです。

もぐりで大学の授業も受けられるし、いまならネットにも公開されている…けれども

大学に進学した人なら分かると思いますが、大学の授業ってやろうと思えばもぐり込めますよね?人をチェックしている人なんていませんからね。

ですから『大学の授業で学びまくって価値ある人間になるんや!』と思うのであれば、いろんな大学の授業に忍び込んで学びまくればいいのです。でもそんなことやってる人はいません。

なんなら、今の時代は一流大学の授業がネットに公開されています。しかも無料で。知識という意味では学び放題なのです。

でも、ほとんどの人はやってませんよね?なぜか?

大学生は分かってるんです。重要なことは『大学で学ぶことではなく、大卒という肩書』ということを。一流大学に忍び込んで授業を受けても、ネットに公開されている授業を受けても、卒業資格はもらえません。

教育者が絶対に言わない教育の本当のこと

「勉強は大事だ!勉強して大学に行くんや!」みたいなことを、学校の先生は言います。でもこれ、ポジショントークなんです。

というのも、「勉強って全員に必要ないよね」という価値観が浸透してしまったら、学校の先生はクビになってしまいますから。ご飯が食べられなくなっちゃいます。(生徒にも偉そうにできませんw)

だから教育関係者は口を揃えて「勉強は大切だ!勉強しないとダメだぞ!頭良くするためには、先生の言うことは聞きなさい!」みたいに言うのですね。

ちなみにこの本の著者のブライアン・カプランさんは大学の教授です。ですから「勉強は大事だ!」という価値観が浸透している方が都合がいいです。実際、本の中でもこのように言っております↓

大学の教授と言う身分で満足しているので、個人的には、教育制度に楯突く理由はない。むしろありがたいのである。

p2

でも、今の教育に批判の目を向けます。経済学部の教授ということで、教育のおおすぎる無駄に黙っていられなくなったのです。

しかし今までの人生経験と、25年分の読書と思索から、私は今の教育制度は大いなる時間とお金の無駄だったと確信するに至った。

高校の授業で学んだことは大人になるとほとんど忘れる

アメリカの成人に、科学の基本的な知識をテストしてみました(12問)。正/誤の2択の問題なので、当てずっぽうでも50%の確率で正解できるテストです。その結果…正解した成人は60%でした。

当てずっぽうの分を差し引いてみると、↓

  • 地球が太陽の周りを回っていることを知っているアメリカの成人は半数そこそこしかいない。
  • 原子が電子より大きいことを知っているのはわずか32%だ。
  • 抗生物質ではウィルスが死なないことを知っているのは14%だけ。
  • 進化の知識がある人は0をわずかに上回るほどしかいない。
  • ビックバンを知っている人は実質ゼロを下回る。

などなど、コイントスした方が成功率高いんじゃ…?という結果でした。科学の初歩が分かっているアメリカ人の成人はほとんどいないことが分かりました。(科学だけではなく、歴史とかでも同様です)

当てずっぽうの分を差し引いて補正すると、回答者が正解を知っていたのは4.6問でした。これらの基本的科学の知識をすべて高校で習ったとすると、1年間に学習したのはたったの1.4問ということになります。

この惨憺たる結果はなぜなのでしょうか?

理由の1つは、使わない知識は忘れるからです。高校で何時間もかけて学んだとしても、結局は忘れてしまうのです。

知識を教えているのではなく、『考え方』を教えている?

結局忘れる知識を教えてなんになるの?と、教育者に言うと「知識ではなく考え方を教えている」と反論するかもしれません。

この反論は正しいのでしょうか?

いまのところ裏付けるエビデンスはほぼゼロです。

学んだことを他の分野で使えることを『学習転移』と言い、教育心理学の学習転移の分野では、1世紀上にわたって教育の隠れた知的メリットの測定が行われてきました。

その結果…全然使えない!ということが分かりました。

最大の発見は、教育のつぶしのきかなさである。概して、学生は教えられた教材しか習得しない…それも運がよければだ。

p69

大学に行くことは個人にとっては意味があるが、みんなが行くのでコスパが悪くなっていく

大卒の方が高卒よりも収入が高いので、個人にとって大学は卒業したほうがいいです。

しかし、「大卒の方が収入がいいぞ!よしみんな、大学に行くぞー!」となると、どんどんコスパが悪くなっていきます。ダイヤモンドなどと一緒で、大卒は希少だから価値があるのです。

仮に大学進学率が100%になれば、『大卒』になんの価値があるのでしょうか?中学卒に価値がないように、大学卒も価値はなくなります。

なくなるだけならいいのですが、そこにはコストが発生しています。4年間という時間と、学費です。なんにも意味がない大卒という資格を取得するためだけに、貴重な時間とお金を払う価値はあるのでしょうか?

いまの日本の大学進学率は、約50%。この数字が上がれば上がるほど、大卒の価値は減っていきます。

かといって、大学の価値が信じられている社会で大学に進学しないとなると、生涯年収は下がると予想されます。キツイ。

結論:教育をやりすぎなことが問題

著者は「教育なんてまったく必要ない!」と主張しているわけではありません。

著者が問題提起していることは、「教育が足りないのではなく、教育のやりすぎが問題!」ということです。

繰り返しになりますが、ほとんどの学生は大学で学ぶことは今後役に立ちません(個人にとっても社会にとっても)。なんなら高校で学ぶこともです。そんな今後の人生に役に立ちそうもないことを学ぶために、何千時間も費やすのです。これって無駄じゃない?

しかも、教育には多額の税金が使われています。2011年にアメリカ連邦政府、州政府、地方自治体が教育に費やした額は約1兆ドルです。

この大いなる無駄を省くためにはどうすればいいのでしょうか?

著者はこう言います。「教育にかけている助成金を大幅に削減するのがいい。極論を言えば、一番良い教育政策は教育政策をなくすことだ。政府が学校から手を引けばいい。」と。

助成金がなくなれば、大学の学費はめちゃくちゃ上がります。これはつまり、「平々凡々な人間は大学に行かなくていい」ということです。一部のエリート、もしくはお金を持ってて役に立たないことを学びたい人だけが大学で学べばいいということです。

一部の人が大学に行き、ほとんどの人は高卒止まり。そうなると、高校の学歴が重視されるようになるかもしれません。

「だったらあんまり変わらなくない?」と思われるでしょうか。全然違います。だって4年間という時間も減らせるし、学費も払わなくていいからです。

また大学に進学しなくていいということは、『大学受験のための勉強』も減らせます。もっと実用的で社会に役に立てそうな知識やスキルを手に入れられるわけです。

その知識とスキルで早いこと社会人になって働いてお金を儲けて、それでも大学で学びたいならそのお金で大学に行けばいいじゃない。

加えて大学4年間分の助成金を減らせるということは、その分のお金をどこかに使えるということです。子供の貧困とかに使った方が、いい社会になりそうじゃない?

以上、大学なんか行っても意味はない?教育反対の経済学』のメモでした。参考までに。それでは!

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