ひろゆきさんの『無敵の独学術』という本を読んだので、教育に関係しそうなところをメモ。
いつもながら「ひろゆきさんらしい」ズバッとした発言があり笑えました。
独学できないバカは学校に行きなさい
14ページ目の初っ端から「バカは学校へ行こう」というタイトルから始まります笑。
ほんとまぁ、その通りなんですよね。厳しいことをいうようですが、現代において学校ってそういう場所なんです。
言うまでもなく、ネットを使えば膨大な情報があるため、独学できる人はネットで学べちゃうからなんです。独学できる人にとっては学校という場所は学ぶという意味ではコスパが悪いんです。
では誰にとって学校は意味がある場所なのでしょうか?
独学できない人、ひろゆきさん的にいう「バカ」な人にとっては学校は意味があります。最低限の学力がないと、玉石混合のネットの情報に埋もれてしまうのですね。
ひろゆきさんはこう言います↓
厳しいことを言うようですが、バカに独学は無理です。では、バカな人はどうしたらいいのか?答えは学校に行くことです。独学をあきらめて、きちんと優秀な先生に教わるのです。
p15
独学できたひろゆきさんの20代前半
独学できたひろゆきさんは、本屋で参考書を立ち読みし(半日くらいかけて)、勉強をしていたそうです。すごいですよね。
じゃあそんなひろゆきさんは大学卒業後、どんなことをしていたのかというと…
- ほとんど働いていなかった
- 実家暮らしだった
- 朝起きない
- 昼になってもまだ起きない
- 夕方になって起きたかと思えば、ゲームをしていた
周りから見ればそうとうやばいやつです。
でもひろゆきさんは周りからどうみられようが気にしませんでした。
ただ、「2chという掲示板を運営することが楽しくて続けていた」のです。
じゃあひろゆきさんは2chでお金を稼げられる確信があったのかというと、そうでもないようです。
掲示板を運営すること自体が面白くてずっと続けていただけで、これが実際にどれくらい儲かるかなんて全然わからなかったですし、考えもしませんでした。
p86
とのことです。
ひろゆきさんは収入がほとんど得られない時期を数年過ごしました。でも結果として20代中盤からは収入を得られ、億単位を稼ぐまでになりました
すごい。
ひろゆきさんの頭の良さ、時代の運など諸々あってのことなので、結果論でしか言えませんが、「これからってこーゆー生き方」が求められてるんだと思います。
30年前だと掲示板で稼げるなんて考えられませんでした。20年前だとゲームで稼げるなんて考えられませんでした。オリンピック競技になっているスケボーとかスノボーとかもそうでしょう。
じゃあ今後の10年後、20年後、いまは稼げてないけれど稼げるようになるモノってなんでしょう?そんなの分かりません。誰も分かりません。
でももしかしたら、我が子が夢中になってる〇〇かもしれないんですよね。
いやー、成功するかどうかって運要素が強かったりすんですね。
「そんな運に賭けてらんねーわ!」って思い、子どもを学校に通わせる気持ちも分かります…。
ちなみにひろゆきさんは「成功者から学ぶべきは結論ではなく、思考のプロセス」だと言います。バカな人は思考のプロセスを考えず、成功者の結論だけを見て判断してしまい、結果として失敗していくわけです。
前の話につなげると、
- 掲示板で成功した
- ゲームで成功した
- スケボーで成功した
- スノボーで成功した
って聞いちゃうと「よっしゃ、ゲームやるべ!」とか「よっしゃ、子供にはスケボー習わせよう!」とか考えがちです。もちろん行動してみることはいいのですが、「成功者たちはなぜそれをやっているのか?どういうことを考えて練習などをしていたのか?」などの思考のプロセスをないがしろにしてしまうと成功するわけないんです。
成功している人の資料のつくり方だとか、計算の仕方だとか、方法論の1つひとつをパクる分にはいいのですが、その人が発言する意図だとか、思考のプロセスを理解せずに結論だけを真似しようとするとバカを見ます。
p124
中略
成功者から学ぶべきとことは、結論ではなく思考のプロセスです。それなのに、アタマの悪い人は前提の情報をきちんと理解しないで、短絡的に結論だけを聞こうとします。
ってことで、結局、「自分で考えられる脳にしていきましょーや!」ってなことですね。
とりあえずどうすれば?→好きなことをやらせろ
基本的には普通の人は学校に行くべきです。学校に行かなくていいのは一部の天才と呼ばれる人たちだけです。
普通の人は学校行って飼い慣らされて社畜人生を闊歩していけばいいのかというと、我が子がそんなことになるのは嫌ですよね。じゃ、どうすれば?ってことなんですが、結論から言うと「好きなことやらせておけ」っていうのが一番親切な答えだと思います。
イチローさんの言葉に「努力を努力だと思っている時点で、好きでやってるやつには勝てない」というものがあります。僕もそれは正しいと思っています。努力は「好き」に勝てないのです。
p165
中略
独学の場合はなおさら、どう努力するかを考える前に、それを好きだと思えるかどうかと言うことの方が大事だと思います。
勉強を好きじゃない人が、強制的に努力をさせられて勉強したとしても、勉強を好きな人には勝てません。そして好きでもなくやってたものなんて、すぐに忘れていきます。
『子どもの好きなことを応援してあげる』というのが、親の一つの役目なのでしょうね。子どもの好きなものが世間的に評価されていたらいいのですが、評価されてないものだったら「これはダメ!」と言いたくもなります。でもそこをグッと堪えて、やらせてあげる。
子どもはそれが好きだから一生懸命試行錯誤して頭を鍛えていく。能力を伸ばすには、『好きを応援してあげる環境を整えること』が一番なのかもです。
プロゲーマーの梅原大吾さんは学歴という意味では全然なのですが、マッキンゼーで働いていたちきりんさんは「ほとんどの高学歴より思考力がある」みたいなことを対談本で評価していました。
ゲームでもなんでも上達するためには、頭を使わなければなりませんからね。
子どもの「〇〇が好き」というのはやっぱり大事にしてあげたいですね。大人になれば分かるとおり、どんどん「好き」という感情は減っていきます。言い換えると、なにかを好きになるためのきっかけとなる好奇心が減っていっているともいえると思います。
好奇心が強くてなにかを「好き」になれる時期って、有限なんですわな。
でも今の時代に大事なのは、「現時点でどれだけの経験値があるか」ということに加えて、「新しい知識をいかに吸収するか」です。つまり、情報を取りにいく原動力となる「好奇心の強さ」が必要になるのですね。好奇心が強ければ、新しい知識や情報を自分からぐいぐい取りに行って吸収できます。でも、残念ながら好奇心と言うのは、年をとるごとに下がりやすくなるものでもあるのです。
p183
無思考で学校に行き続けても大丈夫なのか
「学校には行かなくていい!」みたいな話がよく上がりますが、それはなぜなのでしょうか?
この本の『おわりに』ではこんなことが書かれていました。
- 経済成長のときにはみんながおんなじことをやっても稼げる時代があった
- 人口が右肩上がりに増え続けていた頃は、いい大学に入って、大企業に勤めることができればそれで安泰だった
- でも今は大企業も安泰ではない
- そんな時代には、他人と違うやり方を見つけて、「おいしい」ポジションを自力でとりにいく要領のよさは重要
- それがうまくできない人は食いっぱぐれる可能性がある
まー、よくある聞く説明ですね。
無思考で学校に行き続けると、「他人と違うやり方はダメ」という価値観を植え付けれてしまいます。学校はそこが危険なところなんです。
この本でも少し学校の残念さに触れられています。
ところが、日本の学校というのは、そういう好奇心を潰す方向に力が働きがちです。「こういうことは、やるべきではありません」「この年齢では、こういう方法でやるべきです」といった具合に、子供の自由な好奇心に、すぐ足かせをはめようとします。算数でも、先生から求められた計算式で解かないと、答えは正解でも「マル」がつかないことがあります。自分で考えて工夫して、理解して勉強した結果、「バツ」がついてしまったら、子供の好奇心に冷水を浴びせることになりかねません。そういうところは「日本の教育の残念なところだな」と思わざるをえません。
p197
以上、本を読んで興味深かったところのメモでした。もっとひろゆきさんの思考に触れて見たい方は、本書をお読みくださいませ。
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