モンスタ-ペアレントにならないために、教えるのが下手な教師が多いということを親は知っておく必要がある。

教師のレベルの低下
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僕が中学生の頃だっただろうか、『勉強は学校ではなくて塾でやる!』というのが生徒たちの間では普通でした。

僕が通っていた学校は公立だから、私立のことは実体験としては知らないけど、公立の先生の授業より塾や予備校の講師の授業の方が「わかりやすい」というのが生徒の当たり前の認識だったからです。

今回の記事は、公立の中学校・高校に我が子を通わせることはどういうことなのか?についてです。

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なぜ塾や予備校講師の方が授業がうまいのか?

公立の学校の先生は、別に教えるのが下手でも失業することはありません、

しかし、民間企業に勤めていて、なおかつ競争の激しい塾・予備校業界では、生徒の支持を得ることができなければ失業してしまうのです。(少子化なのでますます厳しくなることが予想されます。)

だから、嫌でも教え方を研究することになるので、結果的に教え方がうまく、質の高い授業を提供できる講師のみが生き残っていくのです。

もちろん、公立の学校でも教え方のうまい先生もいます。でも、教えることがうまくても、何のインセンティブも発生しない公立の教師とでは、どちらが『教えることへの努力をするか』は、大きな差が生まれるのはいうまでもないことだと思います。(トップの予備校講師の年収は数千万円になります)

教師に求めるものは何か?

教師という名の幻想

最近よく聞く言葉に『モンスタ-ペアレント』があります。
僕としては一体何をそんなに教師に求めているのか?と不思議に思ってしまいます。

教師はただ、教員免許を持っているだけの人

です。

  • 人格者
  • 聖職者

教師にそんなことを求めるのは間違っています。
教師にそういった幻想をお持ちの方は、一度、大学の教育学部をのぞいてみたら良いと思います。

教師の卵がどういった態度で授業を受けているか?サ-クルでどんな活動をしているのか?どんな学生生活を送っているのか?
もちろん、素晴らしい学生がいるのも事実ですが、きっと多くの人はこう思うでしょう。
え・・・この人たちが先生になるんだ・・・
笑。

まぁこれが事実で、先生も人間なんです。大学生の頃だったら普通です。

素晴らしい教師とは?

最高の教師って、どういう教師でしょうか?

多分、以下の3つを満たすと思います。

  1. 教え方がうまい(指導力がある)
  2. 教える教科に精通している
  3. 人格者である

この3つの条件を満たす教師ってどれくらいいにと思いますか?
1については今見てきた通りで、多くの場合、塾・予備校講師の方が教え方がうまい人の割合が多いでしょう。

2についてはどうでしょうか?

東京新聞で、過去に面白い記事が載っていたので、それを引用してます。

政府は二〇一三年に閣議決定した基本計画で、「英語教員に求められる英語力」の水準として英検準一級程度以上などと設定。全国の公立高校で英語教師の75%、公立中学では50%が、水準に達することを目標とした。日本英語検定協会などによると、英検準一級は大学中級程度の英語力。英語圏の人と緊張せずに流ちょうにやりとりできるレベルを指す。
毎年の実態調査で目標は未達成。直近の一五年十二月調査では水準に達した割合は高校で57・3%、中学は30・2%にとどまった。
都道府県間の差も大きい。高校の場合、トップの福井が86・6%だったのに対し、最下位の千葉は39・2%。中学ではトップの福井の51・7%に対し、最下位の岩手は14・6%。

他のニュ-スではTOEICの結果も同じようなものでした。つまり、英語の教師と言えども、英語がめちゃめちゃ得意って訳ではなく、プロフェッショナルではありません。これは、英語だけではなく、他の全ての教科にも当てはまることでしょう。

またこの記事から分かることは、教師間でも英語力にはバラつきがあるということです。

その教科が超得意な先生に我が子が当たるかは『運』要素が高くなってくるんですね。

3の『人格者』ってのも、周りを見渡しても人格者なんてそうそういませんよね?だから、先生だからと言って特別人格者の割合が多くなるなんてことありえません。

1、2、3の全てを満たす先生なんてほとんどいません。

なぜ教師のレベルが低いのか?

『人格者』を先生に求めたい気持ちはわかりますが、それは努力でなんとかなるものでもないので、僕たち市民が先生にまず求めるべきことは、『教える教科に詳しくて、教え方がうまいこと』です。

そんなの、「教師が自分で勉強すればいいじゃん!」と思うかもしれませんが、
公立の学校の先生って超大変なんです・・・・・・。

  • 部活の指導
  • 教育委員会からおりてくる雑務など
  • 進路指導
  • モンスタ-ペアレントの対応

などなど雑務が山積みなのです。
だから、他の業務に追われて,良い授業をするために使える時間が無いのが今の先生の現状なんですね。

教師のレベルを上げるために市民ができること

先生たちが授業をより良く工夫できるようには、もっと雑務を減らしていくことが必要です。そのために僕たち市民ができることといえば、まぁまずは『モンスタ-ペアレント』にならないことです。

「我が子が一番!」

と、思うのは勝手ですが、それは家の中だけにしましょうね。それに先ほども書いたことですが、先生だってただの人間なのでそこまで多くを求めたって意味がないのです。

それと、『進路指導』についても先生に頼りっきりにするのはやめましょう。

教育先進国と言われているフィンランドでは、担任の先生は生徒の進路について口出しをしません。なぜかというと、「なぜ生徒の進路について先生が口を出す必要があるのか?そんなプライベ-トなことに関して先生が口を出すべきではない。それは家庭でやってくれ!」というのがフィンランドでの考えです。

これって言われてみれば当たり前のことですよね。

なんで赤の他人に、我が子の進路を決めさせようとするのでしょうか?
それに先生は、高校を卒業して大学に入り、大学を卒業してまた学校に戻ってきている人がほとんどで、『学校』という狭い世界しか知りません。

そんな『学校』という狭い世界しか知らない人に、我が子の進路をそこまで熱心に相談するのって、ちょっと間違ってますよね。

だから、そんなところに先生の労力を注ぎ込むのはやめて、『指導力』の向上に時間をかけてもらおうではありませんか。もし時間が与えられたのにも関わらず、指導力が一定の水準にまで高めることができないのなあれば、容赦無くクビにできるような風潮にしていくことが必要だと僕は思っています。

だってそれ、先生じゃないですよね?指導する立場に立ってはいけない人ですよね?

厳しいことを言うようですが、将来の子どものためを思うのであれば当然のことだと思います。教える力がない先生のせいで、勉強嫌いになる子どもが増えるのであるとしたならば子どもがかわいそうですし、それは日本にとっても大きな損失につながります。

教育市場の流動化がこれからは必要

学校という狭い世界で生きてきた人が、これからの日本の教育に必要と言われている『グロ-バル』とか『IT』の感覚を身につけ、生徒に教えることができるでしょうか。

  • 世界を飛び回る会社で働いてる人
  • IT企業で働いている人
  • 外国人と一緒に働いてる人

このような環境に身を置いて働いてる人の方が『グロ-バル』であったり『IT』の感覚って教師より優れているはずなんですね。

では、こういう民間企業で働いている人が、「この会社で培ってきた経験を次の世代に教えたい!」という思いから教師に転職したいと思ったとしても、できません。

なぜなら『教員免許』を持っていないからです。

世界を股にかけて仕事をしているような人は優秀な方が多いですから、英語力であったり、論理的思考力であったり、リーダーシップ力なんてものは文句なしレベルで高かったりするのですが、「教員免許がないから教師にはなれない」ってのが現実です。

これってすごく勿体無いことですよね。

そういう人が教育分野に興味を持ち、教師になりたいと思ったとしても『教員免許』というハードルに邪魔をされてしまうのです。

これでは教育市場の流動化が濁されてしまいます。

優秀な教師を集めるためには、『教育市場の流動化』が必要不可欠です。

(教員免許を持っていない者を対象にした選考枠を設けて、採用者には『特別免許状』を授与して教壇に立てるようにするという特別免許活用選考の取り組みも始まっています)

教員免許はいらないのか?

じゃあ教員免許がいらないのかっていうと、そんなことはなくて僕は必要だと思っています。

例えば、小学生には大人なら誰でも教えることができて、高校生になるにつれて教えることが難しくなると考えがちですが、実は『小さい子どもほど教えるのは難しい』のです。

『大人なら誰でも小学生に教えることができる』というのは完全な幻想です。

中学生以降になると、だんだんと論理的思考力が高まっていくので、ある程度誰でも教えることができるようになります。大学生が塾や家庭教師のバイトをしているように。

資格と社会的信用性

教員免許は必要だと言いましたが、それはある程度の社会的信用性があってのことです。
なら社会的信用性はどこで担保されるかというと、やはり『試験』になります。

例えば、命を預けることになるパイロットや医者、法の力をもつ裁判官や弁護士、これらの資格は超難関資格と言われているからこそ社会的信用があるのです。
つまり、この資格を得るためには並々ならぬ努力が必要になるのです。僕たちはこの努力に社会的信用を置いているとも言えます。

では、命までとはいかないけれど、子どもの成長を促すためのプロとしての資格である『教員免許』にはどれほどの社会的信用を置くことができるのでしょうか?
結論から先に書くと、教員免許にそこまでの信用性を置くことはできません

というのも、大学で教育学部に入りさえすれば、ほとんど誰でも教員免許を取得することができるからです。その原因は、資格取得に必要なものが『履修型』だからです。
ということは、大学入試さえ突破すれば、あとは大学の授業さえ履修しているだけで『教員免許』を取得できるのが今の教員の現状になります。

教員採用試験の倍率低下の問題

文部科学省が平成27年に公表した『公立学校教員採用選考試験実施状況調査』によると、教員採用試験の競争倍率が低下していることがわかりました。

受験者総数は、174,976人で、前年度に比較して2,844人(1.6%)の減少
過去の推移をみると、昭和54年度から平成4年度までは一貫して減少を続けていたが、以後平成17年度までほぼ連続して増加、以後横ばい傾向の後、平成22年度から再び増加。近年は横ばい傾向となり、平成27年度は微減し、昭和61年度と同程度の水準となっている。
採用者総数は、32,244人で、前年度に比較して985人(3.2%)の増加
昭和54年度以降最も少なかった平成12年度を最低値として、増加が続いている。平成27年度は平成元年度~3年度と同程度の水準となっている。
競争率(倍率)は、全体で5.4倍で、前年度の5.7倍より減少
昭和54年度以降最高であった平成12年度をピークに減少傾向が続き、平成27年度は昭和54~63年度と同程度の水準となっている。

受験者数は減っているけど、採用者数は増えているので、ようは簡単になっているということです。

  受験者数 倍率
小学校 55,834人(2.4%減) 3.9倍(0.3ポイント減)
中学校 60,320人(2.7%減) 7.2倍(0.2ポイント減)
高等学校 36,384人(2.0%減) 7.2倍(前年度同)

倍率が下がるというのは受験者にとってはありがたいことですが、教師の質の低下にもつながることです。

教員採用試験の倍率低下の原因の1つにやはり『多忙さ』があります。

多忙な上にモンスタ-ペアレントからのクレ-ム対応・・・・そりゃあ教師になろうとする人が減るのも納得してしまいます。

大切な我が子を任せる先生だからこそ、先生には多くを求めたい気持ちはわかります。しかし、求めれば求めるだけ、先生には多くの負担がのしかかり、結果として授業の質は下がるし、先生に誰もなりたがらなくなり、先生の質の低下を招きます。

これって親としても、先生としても、Lose-Loseな関係ですよね。

まとめ

いかがだったでしょうか?
今回の記事では『公立の中学校・高校に我が子を通わせることはどういうことなのか?』について書いていきました。
それでは今回の記事を簡単にですがまとめます。

  • 教師は超人でもなければ、聖職者でもないし、人格者でもない
  • 教師に多くのことを求めるだけ、授業の質は低下する
  • 教師は多忙すぎる
  • 教師が教えることに専念できるような環境を整えていくことは、市民の僕たちにもできること
  • その上で、指導力のない指導者は子どもにとって害悪でしかないので、解雇できるような制度や教員の労働市場の流動化を目指す
  • 子育てを先生任せにしない
  • いくら良い指導者に子どもがあたっても、子どもが最も強く影響を受けるのはやっぱり親であり家庭環境だということを忘れてはならない

本日も最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございました。

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