今の大学受験は一部の一流大学を除き、ほぼ『暗記=勉強』になっています。
暗記をすることは勉強をする上で大切なことなのですが、それが『勉強』ではありません。
悲しいことに多くの受験生は『勉強=暗記』だと思っていることでしょう。
大学受験のための勉強を何年間もやるということは悲しいことですよね・・・本来の勉強とは人生をより豊かにするためのものなのに。
今回の記事は『なぜ暗記重視の教育になったのか?』について書いていきます。
勉強ができることと暗記は違う
『勉強ができること』と『暗記ができること』は違います。しかし、今の受験では思考力を問う問題ではなく、どれだけ覚えているか?を問う試験内容になっているのです。(そっちの方が採点が楽ということもあり)
学歴社会なので、学歴が高い人ほど大企業や官僚となり国を動かしていきます。
『暗記>思考』の構造なので、思考力が優れている人より暗記が優れている人が国を動かす立場になりやすいのですが、それって今の時代に適しているのでしょうか?
この混迷を極める世の中では、思考力がある人の方が必要な気がします。
なぜ『覚えること』がそんなに重視されているのか?
このサイトで過去に「工場労働者がたくさん必要だった時代には、機械のマニュアルをいち早く覚えることが必要だったため、暗記教育が求められた」的な記事を書いたことがありますが、これはもうちょっと時代を遡ることができます。
この暗記教育が推奨された理由は、150年ほど前の明治維新の時代にまで遡ることができます。
当時、鎖国政策を実施していた日本ですが、欧米列強のあまりの強さに否応なく鎖国制度の撤廃に追いやられました。
『このままでは欧米にこの国が植民地化される』と危機感を覚えたので、明治政府は強い軍隊を作る必要がありました。
『強い軍隊』を作るためには、上官の命令を忠実に守る兵士を育て、統制を取れるようにしておかなくてはなりません。
そのために必要だったのが、ある一定以上の学力と、言われたことをきちんと聞くような国民を『教育すること』だったのです。(小学校時代にした、前へ倣へ、右向け右、回れ右、気をつけ、などがその名残です)
いまだに運動会では軍隊さながらの行進を行いますよね。
義務教育とは子どもを軍隊に入れても大丈夫なように必要最低限の教育だったわけです。
余計な思考はいらない
忠実な兵士を作るためには、兵士が余計なことを考えないようにするのも教育の一つです。
「この戦いは正しいのか?」「この上官の指揮は正しいのか?」
そんな考えを持つ兵士がいては強固な統制をとることはできません。
だから、ただただ上官のいうことを聞くように『教育する』ことが求められた時代なのでした。
戦争に勝つためにはそれは必要なことだったので、その時代には適した教育だったのです。
しかし、現代までその教育を引きずってもいいものなのでしょうか?
先生に言われたことを何の疑問も持たずにただだだやるだけなのが21世紀型の教育なのでしょうか?
AIやロボットが登場してくる時代において、「ただただ言われたことをやる」というのは、AIやロボットと何ら変わらないどころか、作業スピードは人間より断然上なので、むしろマイナスです。
暗記重視の教育は時代に適していませんよね。
これからの教育に適しているのは『答えのない問い』をどれだは真剣に考え続けることができるかです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回の記事は『なぜ暗記重視の教育になったのか?』について書いてきました。
それでは簡単にまとめをします。
- 『勉強ができること』と『暗記ができること』は違いう
- 暗記教育が重視された理由は強い軍隊を作るため
- 上官のいうことを忠実に聞くような教育が求められた
本日も最後まで記事を読んでいただき、ありがとうございました。
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