ずっと昔、林修先生がテレビで子育てについて語っているのを見たことがあります。
番組の詳しい内容を正確には覚えていません。ただ、「躾(しつけ)」と「姿勢」についてかなり熱心に話していたことだけが、なぜか記憶に残っていました。
子育てで大切なことなんて、いくらでもあります。愛情を注ぐこと、子どもを信じること、自分で考えられるようにすること、人に優しくすること、勉強する習慣をつけること。だから当時の私は、「子育てで一番大切なものは何か」と聞かれても、一つには決められないと思っていました。
そんな中で林先生は、「躾」の中でも特に「姿勢」が大切だ、という話をしていました。
しかし当時の私は、「まあ、姿勢ってそりゃ良い方がいいよね」くらいの受け止め方で、そこまで深く響いていませんでした。
それから十年以上がたち、最近になってこの話をよく思い出すようになりました。これは今の子どもの姿勢が悪くなったと言いたいわけではありません。昔はピンとこなかった林先生の言葉も、今では「なるほどなあ。長年教育に携わってきた林修先生が、なぜあれほど姿勢を重視していたのか、少し分かる気がする」と思うようになりました。
なぜ、大切なことの中で「姿勢」だったのか

教えるべき大切なことがたくさんある中で、なぜ林先生はそれほど姿勢を重視していたのでしょうか。
当時の話では、集中力がない、宿題ができない、落ち着きがないといった子どもの問題について、まず「集中できる姿勢」ができているかを考えるべきだ、という話をしていました。机の前に長く座っていられる身体の状態があってこそ、集中して勉強できるという考え方です。
さらに印象的だったのが、姿勢の大切さを説明するために林先生が使っていた、猿と人間のたとえでした。
教教科書などで、人類の進化を、前かがみの姿から直立した姿へと並べて描いた図を見たことがあると思います。先生は背中を丸めた状態を「サルの姿勢」、直立した状態を「ヒトの姿勢」と表現し、子どもの成長と重ねながら背筋を伸ばす重要性を説いていました。
当時の私は、「身体をちゃんと起こして、人間になるんだなー」というくらいのイメージで捉えていました。
実際のところ、この説明は今の科学ではそのまま受け取れません。人類は脳が大きくなるよりはるか以前から直立二足歩行をしていたことが分かっていますし、個体の成長が進化の歴史をそのまま繰り返すという、ヘッケルの古典的な反復説も、現在ではそのままの形では支持されていません。
気にかかるのは、猫背ではなく「切り替えられないこと」
最近、子どもたちと接していて座っている姿勢が気になることがあります。
ただし、猫背だから気になるわけではありません。
自分の家で家族と過ごしているなら、ソファに寝転がっていてもいいと思います。私だって家ではくつろぎますし、四六時中、背筋を伸ばして暮らす必要なんてありません。
私が気になるのは、自分の家ではない場所でも、そのくつろぎ方がまったく変わらない場面に出会ったときです。
家族以外の大人が目の前にいるのに、ソファに身体を大きく預けてだらりと座る。机に肘をついて上半身を乗せ、身体をぐにゃぐにゃと崩してしまう。
小学校の低学年くらいなら、まだ場に応じた切り替えが難しくても不思議ではありません。しかし、中学生や高校生くらいの子がそうした姿勢のままでいるのを見ると、「そんなにくつろぐのか」と少し驚いてしまいます。
さらに不思議に感じるのが、すぐ近くにいる親がその場では特に何も言わないときです。
もちろん、その一場面だけを見て「この家庭では躾をしていない」と決めつけることはできません。家では何度も注意しているのかもしれませんし、その場で言わない理由があるのかもしれません。身体的な事情や発達上の特性から、姿勢を保つことが難しい場合もあります。
それでも、そうした光景を見かけるたびに、私は昔聞いた林修先生の姿勢の話を思い出すようになりました。
姿勢に見える「場に合わせる感覚」

姿勢だけでその人の人柄や頭の良さがわかるわけではありません。背筋が伸びていれば立派な人というわけでもなく、身体を揺らしている子が話を聞いていないとも限りません。
それでも姿勢を見ると、ある程度のものを感じるようになりました。
ここで言う「ある程度のもの」とは、人間性の優劣ではなく、「場や相手に応じて、自分の振る舞いを切り替える感覚が身についているかどうか」です。
自宅ではどんな格好で座っていてもいい。でも、人の家にお邪魔したら少し身体を起こす。誰かが自分に向かって話をしているなら、それが相手に伝わる姿勢をとる。食事中なら、隣の人の邪魔にならないように身体を収める。
大人になると、こうしたことはほとんど考えずにやっています。
でも、これは自然に身についたものではありません。「ちゃんと座りなさい」「肘をつかない」「人の話を聞きなさい」と子どもの頃に何度も言われ、最初は面倒に思いながらも、繰り返すうちに身体が覚えていったものです。
その感覚を身体に染み込ませることも、躾の大切な部分だったのではないかと思います。
林先生は番組の中で、「姿勢のいい不良って見たことあります?」という話までしていました。これも妙に記憶に残っています。言われてみれば、確かに姿勢や歩き方がきれいな不良というのは、あまりイメージできません(笑)。
「身を美しくする」という字が、今になってしっくりくる

「躾」という字は日本で作られた国字で、「身を美しくする」と書きます。
厳密にいえば、「しつける」という日本語そのものの語源が「身」と「美」から生まれたわけではなく、先にあった言葉にこの漢字があてられたものです。それでも、なぜ昔の人がこの文字を作ったのかを考えると、興味深いものがあります。
昔の私は、この「身を美しくする」という言葉を、単なる見た目の話として受け取っていました。だらしなく座るより背筋が伸びている方が格好いい、という程度の認識です。
しかし今は、少し違った意味に感じられます。
自分の身体を、その場に合わせて整えること。自分が一番楽な姿勢をいつでも優先するのではなく、同じ場所にいる他人の存在を意識して、自分の振る舞いを少し変えられること。
そうした感覚を持つことも、「身を美しくする」ということなのではないでしょうか。そう考えると、姿勢は単なる背骨の角度ではなく、周囲への意識の表れのように思えます。
姿勢と学力の関係について

姿勢と学力には実際のところ関係があるのでしょうか。
ここは少し冷静に分けて考える必要があります。
この記事で私が考えているのは、人前での振る舞いや場に応じた身体の整え方という、いわば礼儀や社会性に近い姿勢です。一方で、学術研究で扱われているのは、椅子や机に対してどう座るかという身体的な姿勢や、それが作業や認知機能にどう影響するかという話です。
重なる部分はあるにしても、同じものとして混同しない方がいいでしょう。
そのうえで研究を見てみると、関連を示す報告はいくつかあります。
日本の小学生を対象にした研究では、座り方のモデルを示したり声をかけたりする複数の介入を行った結果、適切な姿勢をとる子どもの割合が増え、課題で書いた文字数(筆記量)も増えたと報告されています。ただし、これは複数の指導をまとめて行った結果であり、姿勢の改善だけで筆記量が増えたと断定できるものではありません。
また、姿勢を保ちやすい椅子を使った日本の中学2年生の研究では、授業中に時間へ注意がそれる思考が減ったことなどが報告されていますが、これも短期間の調査であり、学校成績そのものを測ったものではありません。海外の小規模な研究でも、専用の家具やクッションを併用して姿勢を整えたところ、一部の認知課題に改善が見られた例がありますが、対象がわずか8人と非常に限られています。
姿勢教育に関する複数の研究を検討した系統的レビューでも、研究の質にはばらつきがあり、強い結論を出せる段階ではないとされています。なお、このレビューは学校成績との因果関係を直接検証したものではありません。
つまり、今の研究から「姿勢を良くすれば学力が上がる」とまでは言えません。ただ、座る環境や身体の安定が、作業のしやすさや注意の向けやすさに影響する可能性について、関連を示す研究はいくつかあります。
過干渉と躾の違い

親が子どもの選択を先回りして何でも決めてしまう過干渉は、子どもが自分で考える機会を奪ってしまいます。どの学校へ行くのか、何を学ぶのか、将来どんな仕事をしたいのかといった選択は、成長に合わせて子ども本人に返していくべきものです。
ただ、子どもに任せることと、基本的な振る舞いを教えないことは別の話だと思います。
挨拶をすること、人の物を勝手に触らないこと、人が話しているときに相手に向き合うこと。こうしたことまで、本人がいつか気づくだろうとすべて任せてしまうのは少し違う気がします。
これは子どもの人生をコントロールすることではなく、人と一緒に暮らしていくための基本的な型を教えることです。
最初は「ちゃんと座りなさい」と言われて身体を起こしていた子が、成長するにつれて、親に言われなくても「今はこうした方がいいな」と自分で判断できるようになる。それが躾の一つの到達点なのだと思います。
十年以上たって、腑に落ちたこと
子育てで何が一番大切かと聞かれても、今の私にも一つには決められません。姿勢さえ良ければいいとも思いませんし、姿勢だけでその子の内面や家庭での教育を判断できるとも思っていません。
それでも、林先生がなぜあれほど姿勢にこだわっていたのか、今なら少し分かる気がします。
姿勢は、とても小さなことに見えて、日常の振る舞いのかなり根っこの部分にあります。
どう座るか、人と向き合うときにどう身体を向けるか。自分が楽であることだけを優先せず、周囲に人がいることを意識して少し身体を整えられるか。それは一度説明されたからといって身につくものではなく、子どもの頃に何度も言われる中で、少しずつ身体に染み込んでいくものです。
大人になって親の目がなくなっても、必要な場面では自然と自分の振る舞いを整えられる。考えてみれば、それはなかなか大きなことです。
十年以上前、テレビの前で「まあ、姿勢は良い方がいいよね」と聞き流していた林先生の話。
街や日常の中でいろいろな人の姿勢を見かけるようになった今、あのとき先生が言っていた「躾」とは、こういうことだったのかもしれないな、と思い出しています。
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参考資料
漢字ペディア「躾」
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0002953500
コトバンク「しつけ」
https://kotobank.jp/word/しつけ-74010
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https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18614694/
Fettweis T, Demoulin C, Vanderthommen M.
Influence of children’s sitting position on their cognitive abilities
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1779012313000302
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Effects of postural intervention using a risshin chair on physical posture, class time perception, and subjective well-being in junior high school students
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC13441013/
Valenciano PJ, et al.
Effects of postural education in elementary school children: a systematic review
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33146294/
Smithsonian Human Origins Program「Walking Upright」
https://humanorigins.si.edu/human-characteristics/walking-upright
Smithsonian Human Origins Program「Brains」
https://humanorigins.si.edu/human-characteristics/brains

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