「まあ、人それぞれだよね」
友だちと話しているとき、この言葉を使ったことはありませんか。
好きな音楽が違うとき。休日の過ごし方が違うとき。勉強のやり方や、部活への向き合い方が違うとき。そんなときに「人それぞれだよね」と言うと、相手を否定せずにすみます。自分の考えを押しつけず、相手との違いを認めることができます。
また、最近では「それってあなたの感想ですよね」という言い方を聞くこともあるかもしれません。
たしかに、人の意見には、その人の感じ方や立場が入っています。だから、自分の意見だけを「絶対に正しい」と思い込むのは危険です。
でも、ここで一つ考えたいことがあります。
本当に、何でも「人それぞれ」で終わらせてよいのでしょうか。
「好きな給食は人それぞれ」は分かります。でも、「人をいじめるかどうかも人それぞれ」と言われたらどうでしょうか。
たぶん、多くの人は「それは違う」と感じるはずです。
この記事では、相対主義という少し難しい言葉を、中学生にもわかるように説明します。そして、「人それぞれ」でいいことと、「人それぞれ」では済ませてはいけないことの違いを考えていきます。
相対主義とは何か

相対主義とは、簡単に言うと、正しさや価値観は、立場・時代・文化・状況によって変わることがある、という考え方です。
たとえば、日本では当たり前だと思っていることが、別の国では当たり前ではないことがあります。今の時代では普通のことが、昔は非常識だったこともあります。
食事のマナー、服装、家族の形、学校生活のルール。こうしたものは、場所や時代によって変わることがあります。
だから、「自分の考えだけが絶対に正しい」と決めつけるのは危険です。
自分にとっての普通が、相手にとっての普通とは限りません。自分が大切にしていることを、相手も同じように大切にしているとは限りません。
そう考えるのが、相対主義の基本です。
相対主義の反対は「絶対主義」
相対主義の反対にある考え方を、絶対主義と呼ぶことがあります。
絶対主義とは、「どんなときでも変わらない正しさがある」と考える立場です。
たとえば、「自分のやり方だけが正しい」「違う考え方をする人は間違っている」と決めつけるような態度です。クラスで声の大きい人が、自分の考えをみんなに押しつけてくるような場面を想像すると、少し分かりやすいかもしれません。
もちろん、絶対に守らなければならないこともあります。人を傷つけてはいけない、命を大切にする、約束を守る、といったことはとても大切です。
でも、すべてのことに「絶対の正解」があるわけではありません。
好きな音楽、将来の夢、勉強の仕方、休日の過ごし方。こうしたものまで「これが正解だ」と決めつけると、息苦しくなってしまいます。
相対主義は、「自分の普通」をいったん疑い、相手の立場を考えるために役立つ考え方です。
話の種類を3つに分けて考えよう

相対主義を理解するためには、身の回りの話を分けて考えることが大切です。
1. 正解がはっきりしている話
計算問題や漢字の読み方などは、正解がはっきりしています。
「1+1=2」は、人それぞれではありません。テストで漢字の読み方を聞かれたときも、好きな答えを書いてよいわけではありません。
こういう話では、正しい答えを確認することが大切です。
2. 好みの話
ラーメンはしょうゆが好きか、みそが好きか。朝ごはんはご飯がいいか、パンがいいか。音楽はロックが好きか、クラシックが好きか。休日は外で遊びたいか、家でゆっくりしたいか。
こういう話は、人それぞれでいいものです。
無理に正解を決める必要はありません。「へえ、あなたはそれが好きなんだね」と受け止めれば、それで十分です。
3. 価値観や生き方の話
少し難しいのが、価値観や生き方の話です。
部活をどれくらい頑張るか。友だちとどんな距離感で付き合うか。どの高校に行きたいか。将来どんな仕事をしたいか。
こうした話は、一人ひとりの考え方によって変わります。
だからこそ、いきなり相手を否定するのではなく、「どうしてそう思うの?」と聞くことが大切になります。
相対主義が大切な理由
相対主義が大切なのは、自分の考えを押しつけないためです。
たとえば、あなたが「部活は毎日全力で頑張るべきだ」と思っているとします。でも、別の人は「勉強や家のこともあるから、部活は無理のない範囲で続けたい」と考えているかもしれません。
どちらか一方だけが絶対に正しい、と決めつけると、相手の事情が見えなくなります。
また、クラスにはいろいろな人がいます。にぎやかに話すのが好きな人もいれば、静かに過ごすのが好きな人もいます。すぐに友だちを作れる人もいれば、時間をかけて少しずつ仲良くなる人もいます。
自分と違う人を見たときに、「変だ」「おかしい」とすぐに決めつけるのではなく、「そういう感じ方もあるんだ」と考える。
これは、相手を理解するためにとても大切な態度です。
「人それぞれ」は、便利なバリアにもなる

「人それぞれ」は、とても便利な言葉です。
友だちと意見がぶつかって気まずくなったとき、「まあ、人それぞれだしね」と言えば、その場は丸く収まることがあります。相手を否定せず、自分も傷つかずにすみます。
その意味では、「人それぞれ」は、相手とぶつかるのを避ける便利なバリアのような言葉です。
でも、バリアを張ると、相手の本当の気持ちに近づけなくなることもあります。
たとえば、友だちが「最近、グループLINEで自分だけ無視されている気がする」と相談してきたとします。そのときに、「まあ、人との関わり方は人それぞれだからね」とだけ返したらどうでしょうか。
それは、相手を尊重しているというより、相手の悩みから距離を取っているだけかもしれません。
本当に相手を大切に思うなら、「いつからそう感じるの?」「どんなことがあったの?」「誰かに相談できてる?」と、もう少し聞くはずです。
「人それぞれ」は、会話を終わらせるための言葉ではありません。
本当は、相手のことをもっと知るための入口になる言葉です。
「人それぞれ」で済まない話もある
相対主義は大切です。
でも、何でも「人それぞれ」で終わらせてよいわけではありません。
たとえば、「人をいじめてもいいと思う」という人がいたとします。その人にも何か理由があるのかもしれません。腹が立っていたのかもしれないし、自分も誰かに傷つけられたことがあるのかもしれません。
でも、理由があるからといって、いじめてよいことにはなりません。
悪口を言う。仲間外れにする。暴力をふるう。相手をばかにする。SNSに傷つくことを書く。こうしたことは、「人それぞれの考え方」では済みません。
なぜなら、実際に傷つく人がいるからです。
「自分はそう思うから」と言えば、何をしてもよいわけではありません。自分の考えや自由が、他の人の安心や尊厳を壊してしまうなら、それは止めなければならないことです。
自由とわがままの違い

ここで大切になるのが、自由とわがままの違いです。
自由とは、自分の考えや生き方を大切にできることです。好きな本を読む。好きな音楽を聴く。将来の夢を持つ。自分に合った勉強の仕方を考える。これは大切な自由です。
でも、わがままは違います。
自分が楽しいからといって、授業中に大声で騒ぐ。自分が気に入らないからといって、相手を無視する。自分の考えを通したいからといって、他の人を傷つける。
これは自由ではなく、わがままです。
自由は、自分だけのものではありません。
自分に自由があるように、相手にも自由があります。だから、本当の自由には「相手の自由も大切にする」という考え方が必要です。
個性は壁紙、守るべきルールは床

ここで、クラスを一つの部屋として考えてみます。
その部屋には、いろいろな人がいます。明るく話すのが好きな人もいれば、静かに過ごしたい人もいます。部活を全力で頑張りたい人もいれば、勉強や家のことを優先したい人もいます。将来の夢も、好きなものも、大切にしていることも、人によって違います。
こうした個性は、部屋の壁紙やポスターのようなものです。
明るい色の壁紙が好きな人もいれば、落ち着いた色が好きな人もいます。スポーツのポスターを貼りたい人もいれば、音楽や本に関係するポスターを貼りたい人もいます。どれが正解というわけではありません。
でも、その部屋には、絶対に壊してはいけないものがあります。
それが、床です。
個性は壁紙、守るべきルールは床です。
床があるから、みんなは安心して立つことができます。床があるから、好きな壁紙を選んだり、好きなポスターを貼ったりできます。
もし床が抜け落ちてしまったら、どうなるでしょうか。
どんなにきれいな壁紙があっても、どんなに好きなポスターを貼っても、誰もその部屋で安心して過ごすことはできません。
「他人の心や体を不当に傷つけない」というルールは、この床のようなものです。
趣味や考え方は人それぞれでかまいません。けれど、人を傷つけないこと、安心して過ごせる場所を守ることは、みんなが同じ場所で生きるための土台です。
だから、「人を傷つけたい」という考えを、ただの価値観として認めることはできません。
相手の気持ちや背景を理解しようとすることは大切です。でも、相手を傷つける行動まで「人それぞれだから」と許す必要はありません。
公共の問題は「人それぞれ」だけでは決められない
学校や社会には、みんなで決めなければならないことがあります。
たとえば、校則をどうするか、スマホを学校に持ってきてよいか、部活動の練習時間をどうするか、席替えをどんな方法で決めるか、といった問題です。
こうした問題は、「人それぞれだから好きにしていい」で終わらせることができません。
なぜなら、みんなに影響するからです。
ある人にとっては便利なルールでも、別の人にとっては困るルールかもしれません。ある人にとっては楽しいやり方でも、別の人にはつらいかもしれません。
だから、公共の問題では、「自分はこう思う」で終わらずに、「それで誰が困るのか」「誰に負担がかかるのか」「みんなが安心できる形は何か」まで考える必要があります。
正解がすぐに出ないこともあります。意見が分かれることもあります。
でも、だからこそ話し合う必要があります。
「私はこう思う」と言っていい

相対主義を知ると、「自分の意見を言うのは押しつけなのかな」と思う人もいるかもしれません。
でも、自分の意見を持つことは悪いことではありません。
大切なのは、「自分が絶対に正しい」と思い込まないことです。
たとえば、こんな言い方なら、相手を尊重しながら自分の意見を伝えることができます。
- 「私はこう思うよ。でも、違う見方もあるかもしれない」
- 「自分はここが気になる。あなたはどう思う?」
- 「その考え方も分かるけど、この部分は少し心配だと思った」
このように話せば、自分の考えを出しながら、相手の考えも聞くことができます。
「それってあなたの感想ですよね」と言われたときも、必要以上に傷つく必要はありません。
たしかに、自分の意見には自分の感じ方が入っています。だからこそ、「うん、これは私の意見だよ。あなたはどう思う?」と返せば、そこから話し合いを始めることができます。
意見を言うことと、相手に押しつけることは違います。
相手を尊重することと、何も言わないことも違います。
相対主義の問題点
相対主義には良いところがあります。
自分の常識だけで相手を決めつけないこと。違う文化や価値観を理解しようとすること。これはとても大切です。
でも、相対主義には注意点もあります。
それは、何でも「人それぞれ」で終わらせると、考えることをやめてしまうことです。
「どちらも人それぞれだから、もう考えなくていい」
「意見が違うから、話しても意味がない」
「人によって違うんだから、正しさなんて考えなくていい」
こうなってしまうと、相対主義は相手を理解するための考え方ではなく、考えることから逃げるための言葉になってしまいます。
本当に大切なのは、「人それぞれだから終わり」ではありません。
「人それぞれだから、もう少し聞いてみよう」
「人それぞれだから、どこまでなら一緒に守れるか考えよう」
そう続けることです。
よくある質問
相対主義とは簡単にいうと何ですか?
相対主義とは、正しさや価値観は、国や文化、時代、人それぞれの立場によって変わることがある、という考え方です。「人それぞれ」という言葉に近い考え方だと思うと、イメージしやすいです。
相対主義の反対は何ですか?
相対主義の反対にある考え方は、絶対主義です。絶対主義は、時代や場所に関係なく、絶対に変わらない正しさがあると考えます。
「それってあなたの感想ですよね」と言われたらどう返せばいいですか?
「たしかに、これは私の意見だよ。あなたはどう思う?」と返すとよいと思います。
意見には自分の感じ方が入りますが、だからといって無意味になるわけではありません。大切なのは、感想や意見を出し合いながら、理由を話すことです。
何でも「人それぞれ」にしてはいけないのはなぜですか?
誰かを傷つけることまで「人それぞれ」で済ませると、苦しむ人を放置してしまうからです。
好みや考え方の違いは大切ですが、いじめや暴力、差別のように誰かを傷つけることは認めてはいけません。
自由とわがままは何が違いますか?
自由は、自分の考えや生き方を大切にすることです。ただし、相手の自由や安心も大切にする必要があります。
一方で、わがままは、自分のしたいことのために相手を困らせたり傷つけたりすることです。自分が楽しいからといって、他の人の安心を壊してよいわけではありません。
まとめ:「人それぞれ」は終わりの言葉ではない
相対主義とは、正しさや価値が立場・時代・文化・状況によって変わることがある、という考え方です。
この考え方は、自分の価値観だけで相手を決めつけないために大切です。「人それぞれ」という言葉も、相手との違いを認めるためには必要です。
でも、「人それぞれ」は何でも許す言葉ではありません。
好きな食べ物や音楽、休日の過ごし方は人それぞれでかまいません。生き方や価値観も、まずは相手の背景を聞くことが大切です。
けれど、いじめや暴力、差別のように誰かを傷つけることは、「人それぞれ」では済みません。みんなに関わるルールや公共の問題も、「人それぞれ」で終わらせず、話し合う必要があります。
「人それぞれ」は、会話を終わらせるための言葉ではありません。
本当は、会話を始めるための言葉です。
「人それぞれだよね。だから、あなたの考えをもう少し聞かせてほしい」
そう言えるようになることが、相対主義をただの知識で終わらせず、毎日の生活に活かす第一歩なのだと思います。

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